ファラデーの伝- 名誉・宗教・狐狗狸(こくり)の研究 -

五十、名誉

 ファラデーの名声が高くなるにつれて、諸方の学会や大学から名誉の称号を贈って来た。一八二三年にパリのアカデミーの会員になったのを初めとし、同六四年にイタリアネープルのアカデミーの会員になったのを終りとし、その中、一八二四年にローヤル・ソサイテーの会員になったのだけは、自分で望んだのだが、この他のはみな先方からくれたので、合計九十有六。その中にはオックスフォード大学の D.C.L. とキャンブリッジ大学の L.L.D. というようなのもあり、ロンドン大学の評議員というのもあり、キャバリヤー・プルシアン・オーダー・オブ・メリットというようなのや、パリのアカデミーの名誉外国会員というようなものもある。ローヤル・ソサイテーの最高の賞牌のコプレー賞も二度までもらった。

 これらの名誉をファラデーは非常に重んじたもので、特別に箱をつくりて、その内に入れて索引までも附けて置いた。

五十一、宗教

 ファラデーの信じておったサンデマン宗の事については前にも述べたが、一八四〇年から四四年までの間、ファラデーはこの教会の長老であった。それが四四年に長老たることも会員たることもやめられたが、その委細は、ある日曜日にファラデーが欠席をした。どうしたかと聞かれたら、ヴィクトリア女王に正餐に招かれたと答えて、正当の理由であるごとくに弁解した。これが不都合だというので、やめられたのである。しかしこの後も引きつづき熱心に礼拝には来ていた。そのため、後にはまた会員になり、一八六〇年からふたたび長老となった。説教したことも度々ある。ファラデーの説教だというので、わざわざ聴きに行った人もある。

 しかしファラデー位、講演の上手にやれる人はあるまいが、ファラデーよりもっと効目(ききめ)があるように説教の出来る者は無数にあるという評で、講演の時の熱心な活(い)きいきとした態度は全々無く、ただ信心深い真面目(まじめ)という一点張りで、説くことも新旧約聖書のあちらこちらから引きぬいたもので、よく聖書をあんなに覚えていたものだと、感心した人もある。

 ファラデーは神がこの世界を支配することに関して、系統的に考えたことは無いらしい。ニュートンやカントはそれを考えたのであるが。ファラデーのやり方は、科学と宗教との間に判然と境界を立てて別物にしてしまい、科学において用うる批評や論難は、宗教に向って一切用いないという流儀であったらしい。ファラデーの信じた宗教では、聖書のみが神の教というので、それに何にも附加せず、またそれより何にも減じないというのであった。ファラデーは新旧約聖書の出版の時代とか、訳者とかについて、一つも誤りなしと信じ[#「、一つも誤りなしと信じ」は底本では「、一つも誤りなしと信じ」]、他の古い記録と比較しようとも考えなかった[#「、他の古い記録と比較しようとも考えなかった」は底本では「、他の古い記録と比較しようとも考えなかった」]。

 ファラデーの態度をチンダルが鋭く批評したのに、「ファラデーは礼拝堂の戸は開けっぱなしで(open)寛大にして置くが、実験室の戸は出入がやかましく厳重である(closed)」と言った。これは酷評ではあるが、その通りである。

 ファラデーは非常に慈(なさ)け深い人で、よく施しをした。どういう風に、またどの位したのか、さすがに筆まめな彼れもそればかりは書いて置かなかった。多分貧しい老人とか、病人とかに恵んだものらしく、その金額も年に数百ポンド(数千円)にのぼったことと思われる。なぜかというと、ファラデーは年に一千ポンド近くも収入があったが、家庭で費したのはこの半分くらいとしか思われぬし、別に貯金もしなかったからだ。ファラデーの頃には、グリニッチの天文台長の収入が年に一千ポンド位。また近頃では、欧洲戦争前の大学教授の収入が、やはりその位であった。

五十二、狐狗狸(こくり)の研究

 一八五三年には、ファラデーは妙な事に係(かか)り合って、狐狗狸(こくり)の研究をし、七月二日の雑誌アセニウムにその結果を公にした。

 狐狗狸では、数人が手を机の上に載せていると、机が自ら動き出すのだ(いわゆる Table-turning)。しかしファラデーは机と手との間にある廻転する器械を入れて、誰れなりと手に力を加えて机を動さんとすると、すぐこの器械に感ずるようにした。これを入れてから、机は動かなくなった。

 ファラデーのこの器械は今日も残っている。この顛末がタイムスの紙上にも出たが、大分反対論があり、女詩人のブラウニング等も反対者の一人であった。その頃ホームという有名な男の巫子(みこ)があったが、ファラデーは面会を断わった。理由は、時間つぶしだというのであった。

 ファラデーの風(ふう)は、推理でやるよりは直覚するという方であって、むしろ科学的よりは芸術的であった。しかしテニズンとか、ブラウニング等とは交際もしなかったので、この点では同じ科学者でも、ダーウィンやハックスレー等とは、大いに趣きを異にしていた。

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入力:松本吉彦、松本庄八 校正:小林繁雄

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